ソクラテスとともに常識から自由になって強くなる

今回は,『ソクラテスの弁明』を読んでの感想です.テーマは「常識的な観念から一度離れてみて強さを得る」としてみます.

本書は有名なソクラテス裁判を題材としています.日頃から人々と対話し相手の無知*1を暴き憎しみを買っているソクラテスが,自然学者やソフィスト*2と同様の存在として告発され,それに対するソクラテスの弁明が描かれます.

本書の内容は,

  • 告発への弁明
  • 刑罰の提案
  • 判決後のコメント

の3部で構成されています.以下で簡単にまとめてみます.

内容

告発への弁明では,告発内容をソクラテスがサマリーし,告発者を尋問することで告発が不当であることを明らかにしていきます.ソクラテスの言い分は紛れもなく正しいものですが,この弁明の場でもいつも通りのソクラテス流の知の探求スタイルを発揮し,告発者や聴衆を怒らせ,結局有罪となります.

有罪となったので,次に刑罰の提案に移ります.ここでは告発者と非告発者の双方が刑罰の提案を行い,それぞれが勘案されたうえで最終的な刑罰が決定されます.告発側は当然死刑を求めます.それに対してソクラテスは,自らが何一つ悪いことをしておらず,むしろ善い行いを為していると主張し,プリュタネイオンの会堂(当時のVIPたちが食事をする場所)で食事に与る権利を提案します.当然現実的ではない(刑罰ですらない笑)ので,すかさずプラトンやクリトンがサポートに入り,最終的には30ムナの罰金を提案します.結局票決の結果死刑が確定します.

収監までに時間があったので,ソクラテスは演説を行います.ここでの内容は大きく2点あります.1点目は,ソクラテスが死刑になったとしても,ソクラテス流の知を愛し,求める精神は誰かが担って生き続けるし,この精神に反する告発者のような人たちは必ず仕返しを受けることになるという予言です.2点目は,死はそもそも善いことであることの論証です.死後は2パターン考えられ,全くの無感覚になるか,魂が別の場所に行くか.後者の場合には,これまでに死んでいった多くの偉人と対話をすることができるし,この現実世界のように自称裁判官みたいな人ではなくて真の裁判官がいるだろう,これは善いこと以外の何ものでもない,というのがソクラテスの考えです.

感想

常識から一度離れてみる

告発への弁明の中で,ソクラテスアテナイの聴衆に語りかける次の一節が多くの人にグサッとくる内容なんじゃないかなと思います.

世にも優れた人よ.あなたは,知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら,恥ずかしくないのですか.金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し,評判や名誉に配慮しながら,思慮や真理や,魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず,考慮もしないとは(29D-E)

金銭が多くなるように配慮することや評判や名誉に配慮するということは,自分も一昨年から社会人として働き始め,会社という枠の中で過ごす中で,ものすごく感じていることです.みんな決して表立っては言わないんだけれど,どう見てもそれらが行動原理であることは間違いない.当然ですが自分も例外ではありません.即物的な人間です.だからこそ,「恥ずかしくないのですか」の一言はずしりと響いてきます.

こうしたソクラテスの言葉は常識から離れてみるきっかけになると思います.日頃の自身の行動原理を虚心坦懐に振り返ってみて,良心,理性,善き魂のテストにかけてみる.確かに,金銭を蓄えたり,社会的地位を高めていく上では,ソクラテスの言葉は役に立つことはなく,むしろ障害にすらなりえます.しかし,そもそもなぜ金銭を蓄えたいのか,名誉を得たいのか,そこに至るまでの自分の生き様は恥ずべきものではないのかといった抽象度を上げた問いを自分に投げかけることで,人生に対するスタンスそのものを考えることにつながり,結果として,人生の満足度向上につながるかもしれません(そもそも損得で人生を考えることすらなくなるかもしれないし,損得の基準も変わるかもしれません).

強さを得る

ソクラテスの死刑に対する態度がとても良かったです.告発者は死刑というものが最大のダメージだと考えていますが,そもそも告発者とソクラテスとでは生きている生の次元が全く異なっているため,ソクラテスにとってはダメージは完全に無効化されています.ソクラテスにとって最も,そしておそらく唯一大事なのは「魂に配慮しているか」ということです.一般に私たちは生存,および生存にまつわる諸欲求にドライブされています.なので,通常告発者が考えるように死刑は最大のダメージとなります.しかし,ソクラテスにおいてはただ「善くあるか」ということが問題になります.死刑になろうがならまいが,それはソクラテスにとってどうでもよいこととなります.

実際に死刑のダメージが無効化されている2箇所をみてみようと思います.

皆さんはおそらく,私を死刑にしたり,あるいは,追放したり市民権を剥奪したりすることはできます.この男,あるいは他のだれかは,そういったことを大きな害悪だと考えるでしょうが,私はそうは思いません.むしろ,このメレトス[告発者]が今していること,つまり,人を不正にも死刑にしようとすることのほうが,より一層大きな害悪なのです(30D,[]内執筆者)

ここにおいて,ソクラテスを死刑にすることは,もっぱら告発者側に害があるとされています.ソクラテスが死刑になることは,告発者が不正な行いをしたことを明らかにするだけで,ソクラテスは自身に害があるとは考えていません.ソクラテスには自身が善い行いをしてきたという確信がある,なので,死刑にされようが自身の関心事である「魂への配慮」的には全く問題がないのです.

次に,判決後に死が善いことであることを説く場面で,内容については先に述べた通りです.

こうしたソクラテスの態度は,私たちの生活の中でも強さを与えてくれそうです.何かダメージの大きそうなことに接した場合には,自分の最も大事にする価値観的にダメージがあるのかを考えてみる.価値観から外れる事柄であれば無視できます.また,「死」みたいな普通恐いよねというような固定観念も一度問いに付してみる.そうすることで,恐いと思っていたものが実は恐くなかったと気付けることがあるかもしれません.

最後に

ソクラテスの生き様や考え方は,私たちの常識からすると驚くべきものだと思います.人によっては根本的な価値観の転換が起こるかもしれません.ぜひ"あらゆる人に"本書を手にとっていただきたいです.

*1:本書の解説ではこのタームに関しての重大な注意が示されています.無知は「不知(単に物事を知らない状態)でありながら,知った気になっている状態のことを指します.従来「無知の知」と言われてきたものは正確には「不知だと思っている」となるようです.「知る/思う」の区別も重要で,「知っている」とは根拠をもって真理を説明できる状態で,「思う」は自分が知っていない可能性を自覚することになり,ソクラテスの言わんとしていることを正確に表していることになります.

*2:本書解説によれば,当時知識人には漠然とした疑念があったようです.自然学者は自然を科学的に説明しようとし,自然と神を重ね合わせていた人々からは反発され,ソフィストはもっぱら弁論のテクニックで相手を言い負かせ,その技術を流布しており,人々からはいかがわしい存在と思われていたそうです.