アウトプットの時間を増やす
何かを学ぶ際に、アウトプットが重要であるといいます。
実際、上の記事でも述べているように自分のここ数年を振り返ってみると、インプットが過剰でありすぎたと感じています。しかも自分は友人がほとんどおらず、一人でいる時間が多いので誰かと会話をする機会が乏しいことも関連する問題です。なので、これからは真剣にアウトプットの時間を増やさねばということで、現在進行形でアウトプットの機会を増やしています。
今回は自戒の念も兼ねて、インプット過剰状態で実感している症状、アウトプット時間を増加させることで生じると期待されるうれしいことをさっと書いておきます。
インプット過剰状態で実感している症状
- 言葉が出なくなる: アウトプット回路が未成熟のため会話に際して具体的名称がよく飛ぶ(デジタル健忘症というやつかも?)
- 自分の言葉で語れなくなる: 読書や動画でコンテンツをインプットしてばかりなので、自分の意見がなく、誰かの言葉を借りがちになる
こうした症状のもとでは、何かを学んでもそれが全く血肉化されておらず、自分自身がかなり頼りない存在に思えてしまいます。何らかのレファレンスがそばになければ何もできないという状態です。
アウトプット時間を向上させると
上で述べたことは解消されていくだろうと考えています。実際、現在進行形でそのような実感があります。その中で一点注意が必要だと感じたのは、インプットしたものをそのままアウトプットする、というだけでは足りないということです。結局それだけでは、自分の口から出る言葉は他人の言葉の受け売りにしかなりません。読書をするにしても、映画を観るにしても、自分の意見や気持ちといったうちから生じるアウトプットを大切にすることで、自分の言葉で語ることができるようになると考えています。
また、インプットの段階からコンテンツと対話的に自分の意見や気持ちを抽出する作業を行うと、不思議と内容が記憶に定着している実感があります。人間の脳にはそうした仕掛けが備わっているのかもしれません。