切実に睡眠習慣を改善したいです

雑感

睡眠習慣を改善したいです.改善したいと思ってるのにできないというのが現状です.

どう考えても早寝した方が良くて,それを頭では理解していながらも,怠惰な本能によってついつい夜更かしをしてしまうという感じです.夜更かしをして夜テンションでモチベーションが上がり「明日からやるぞ!」となっても翌日になると見事にモチベーションが消え去っています.

なので,本日仕事納めで明日から冬休みが始まるということで,blogを強制力として利用して冬休みの間0時に就寝チャレンジをし,その効果を身をもって体験したいなと思います.効果を身をもって体験することで,夜更かしへのネガティブモチベーションを作り出せればなと思います.

とはいえ,この記事を書いているのもしっかり夜更かし中で夜テンションが発動しているというオチが見え見えの状態なので,いくつか作戦を用意しようと思います.

作戦

  • 早寝することで得られそうなメリットを書き出す

書き出すのがたぶん大事で,視覚にうったえればさすがに連戦連敗の理性も怠惰な本能に勝ってくれるんじゃないかと.

得られそうなメリット
- 頭のキレが上がる
- 記憶の定着率が上がる
- 早起きできる可能性が上がって,早起きできれば午前中が増える(=頭を使う必要があるタスクに取り組む時間が増える)
- 健康的になれる
  • YouTubeで早寝のメリットを説く動画をみる

YouTubeの動画はモチベーションを高めてくれます.この方法は他の場面でも利用していて,カフェイン断ちしたいときはカフェイン断ち経験者の動画をみますし,部屋をきれいにしたいときはガチガチのルーティーン動画をみるようにしています.注意点はやはりYouTubeであるということで,アルゴリズムの沼にハマらないようにする必要があります(基本的にいつもincognitoYouTubeを開きますが,アルゴリズムは本当に強力で,たった1本みただけでガチガチに機能してきます).

  • ルールを作る

ルールを決めることで意思決定の負担を減らす作戦です.たとえば,上のYouTubeであれば動画3本までとあらかじめ決めておいたり,風呂に入る時間を決めておく,風呂から上がったあとはデジタルコンテンツを見ないなどです.ただ,これの難しいところは自分の意志しか拠り所がないことです.ルールを破った場合の罰を定める,というのがルール作戦の基本パターンですが,やはりルール策定者は自分なので,自分の意志の緩み次第でいくらでも罰を帳消しにできてしまいます.なので,上2つの作戦とうまくミックスさせながら機能させていきたいなと思います.

意気込み

夜テンションということでかなりモチベーションは高いです.これが明日以降も持続してくれることを願います.というよりもたぶん持続しないので,上の作戦をちゃんと使っていきたいです.

仮に継続できた場合,継続のために効いたと思ったこと,効果をなるべく一般化して記事にしようと思います.

自分の言葉で語るために#2

nakant.hatenablog.com

以前上の記事で自身の言葉で語ることのできなさの原因を列挙し,1ヶ月継続を試みました.

結果としては,人との会話量を増やすこととアウトプットの量を増やす以外は実践することができませんでした.

ただ,問題としていた具体的に物事を語るという能力は少し改善した実感があります.人との会話の中で,以前であれば言いたいことを的確に表現する言葉がスッと出てこなかったりしたのですが,ここ最近はスムーズに言葉が出てくるようになりました.

人との会話はかなり大きかっただろうと考えています.やはり,自分が言葉を発するというだけでなく,相手の言葉を聞いて,自分の頭の中で思考して,発すべき言葉を決定するというプロセスを踏むので,脳的には高度な処理をしているのかなと思います.

実践に失敗した復習,睡眠,インプットの適度な抑制については,本能的にネガティブ方向の傾向性が働いてしまっているので,良い感じの仕組みづくりをする必要があると考えています.

また何か進展があったら記事にします.

分析的態度の体得のために

悩み

任意の文章を読む際に,批判的に読めてないな,分析的に読めてないな,という実感があります.

わからない単語があっても特に疑いもせずに流してしまい,全体としてなんとなくわかった気になってしまいますし,数字については,おそらく無意識的な拒否反応があって「へー」と流してしまいます.

これでは正確で詳細な理解に至らないですし,そこから新たに論を展開することもできないです.なので,これをなんとかしたいなと思っています.

実施事項

  • わからない語に出会った際は腑に落ちるまで調べる

無限に時間を消費できるのでリミットは設ける

  • 数字には意識的になる

実感が伴わないことが多いので,類似の事例の数字をいくつか見る

  • 読後自身の言葉で当該の文章をサマリーする

  • (揚げ足取りでなく)批判的な視点で眺め,批判点を列挙

これが一番重いと思う.背景知識の多寡とかも大事になってくるし,科学系だったらある程度方法論に親しんでおく必要がある.

  • 特定の立場を表明する文章であれば,(どの立場に与するにせよ)異なる立場からの立論を行う

期間

習慣化に必要な期間はいろいろみてるとばらつきがあって,とにかく継続するしかないんだなあという感じなので,さしあたり2ヶ月継続してどうなるか観察しようと思います.

自分の言葉で語るために

悩み

会話の際,機転の効いたことが言えなかったり,言いたいことをうまく表現する言葉が出てこなかったり,何らかのエピソードを語ることがあまり得意ではありません.抽象的に物事を考えることはできるのですが,具体的な思考が苦手です.

これらの自覚は大学時代の途中くらいからあらわれはじめたのですが,昔はそうでもなかったという記憶が朧げながらにあります.

さすがに何とかしないとなあと思うので,考えられうる原因を列挙し,それを踏まえてしばらくの間生活を改善し変化を観察しようと思います.

考えられうる原因

  • 人との会話量が減った

大学から一人暮らしを始め,家で誰かと会話をすることがなくなりました.また,大学も最初の2年間はクラスがありましたが,3年以降は特に研究室の中での同期との交流があったりすることはなく,学校での会話量は減りました.なので,そのあたりから会話におけるアウトプットの回路が鈍っていると思われます.

  • 睡眠習慣が悪い

これも大学の途中からです.基本就寝は日をまたいでからで,十分な睡眠時間を確保できてない日も散発的にあったりします.やっぱり良い睡眠習慣を確立していないと記憶にも良くないのかなと思っています.

  • 復習しなくなった

受験生時代は,しっかりエビングハウスの法則を信じて真面目に復習していましたが,大学に入ってからは復習する機会はかなり減りました.思い出す機会が減ったということで,記憶は定着しないし,具体的なエピソードを語れなくなるのも当然だと思います.

  • 記憶をさぼりがち

前項と若干かぶる部分があるのですが,どうも自分は記憶することをさぼりがちなんだなと思います.それは,具体的な事柄の記憶をさぼる,というのと,思い出し作業をさぼるという2点セットです.

例えば(こういうときも具体的な例えは何一つ出てこないんですよね),何かある記事を読んでも,一つ一つの人名や数字はすぐに頭から漏れ出し,「要するにこういうことだよね」と抽象度を上げた言葉で簡単にまとめてしまって良しとしてしまいます.ある意味重要な能力だとは思ってますが,やっぱり具体的に物事を語ることが必要になる場面はあり,そうした際に苦労します.

思い出しもさぼりがちです.朝起きて,本当は前日に学んだことを思い出す作業をすれば良いのですが,すぐに何らかの新しい情報を求めてしまいます.

  • インプット情報が増えすぎた

大学入学以降,スマホやPCを見る時間がおそろしく増え,完全にデジタルの波に飲み込まれてる状態で,脳の処理が追いついてないです.しかも,本を買ったり借りたりするのが好きで,それも同時に何冊も読むみたいなこともするので,任意の事柄に対してのコミットメントが浅すぎて何も脳に蓄積されていきません.

原因列挙を経て

記憶が定着されていないこと,アウトプットの回路が錆び付いていること,この2点が根本的な問題なんだろうなと見当がつきました.まずは,上で列挙した原因をなるべく網羅的につぶしつつ,1ヶ月ほど過ごしてどうなるかを観察してみようと思います.

読書:『ラカンと哲学者たち』

特に構成を考えず,感想を思いつくまま記していきたいと思います.

感想

精神分析に興味をもち手にとった1冊です.

フロイトラカンについては大学時代の講義で少し触れたことがありますが,そのときには精神分析の独特で難解な用語で挫折してしまいました.それでも,無意識という領域に関してどんな思索がなされてきたのかは知っておきたく,精神分析を少しずつ勉強しようと思いました.

実はまだ読み切ってはいないのですが,自分なりに考えさせられたことがあるのでメモ代わりに記事にしておこうと思います.

本書を読んでまず「おっ」となったのはデカルトの有名な一説が「私」の存在をサポートしきれていないのでは,という話です.その内実を自分の言葉でまとめることは難しいのですが,「私」というのが,言葉の次元と発話主体の次元とで分裂してしまっていて,「我思う〜」と言葉にされた時点でサポートされるべき「私」が消失しているということ(だと自分は理解しました)です.

さらに読み進めていくと本格的に精神分析の話になっていき,無意識に対して精神分析がいかに向き合ってきたかが臨場感をもって説明されます.

これまで自分は意識や「私」といったものを当たり前のものとして,無意識についてはかなり軽視してしまっていました.ところが,本書を読むと,無意識は決して軽視されるべきではなく,むしろ主体のあり様を決定しさえする可能性が示唆され,非常に驚きました.

そのあたりから,自分の中で考え方に少し変化が起き出しました.それは,自分の中での「私」の認識が確実なものではなくなり始めたということです.これは何かオカルト的な話というわけではなく,単に,「無意識」という意識できない部分が自分の中で存在しているとすれば,当然,もっぱら「意識」によって把握されてる自己認識も十全なものではないよね,という至極ナチュラルな帰結です.

最初は無意識によって決定づけられてるのって,なんかこわいなーと思っていたんですが,勇気をもってその可能性を認めると意外にも"生きる強さ"みたいなものを得られた気がします.上で述べた自己認識のゆらぎは,「私」との距離をもたらしてくれるものでした.自分は考えすぎてしまう性格で,過去にやらかしてしまったことなどを定期的に思い出しては頭を抱えるみたいなことをしていたんですが,そうした過去の自分をほとんど他者くらいの距離感で,なんなら現在の自分さえも客観的に眺めることができるようになりました.

高校生の頃に平野啓一郎さんの『私とは何か』を読んで,"人ごとに違う自分"に悩んでいたのを救われたのと似たような経験ができました.「本を読む」という(良い意味で)それだけの行為でとんでもない生きやすさを得られることがあるっていうのは読書すごいなと感じるところです.

これから

まずは本書を読み切って,そのあとは関連本や実際にラカンフロイトの本を読んでみようと思います.